その一「剣客の家系」
竹心会創設者・竹田誠一郎は、明治四十五年、東京の商家の三男として生まれた。生家は代々続く呉服商であったが、幼少の頃より近隣の道場に通い始めたことが、後の人生を決定づけることとなる。
当時の道場主は厳格な人物として知られ、幼い誠一郎にも一切の手加減をしなかったという。それでも誠一郎は稽古を休むことなく、雨の日も雪の日も竹刀を手に道場へ通い続けた。
幼少の頃、稽古帰りに祖母がかけてくれた言葉が忘れられない。「剣は身を守るものではない、心を守るものだ」と。(竹田誠一郎談)
剣の道はやがて彼の生き方そのものとなり、家業を継いでからも、朝な夕なに竹刀を握る習慣は変わらなかったと伝えられている。
その二「志を貫く」
昭和四十年、四十代を迎えた誠一郎は私財を投じて道場を設立する。当初は自宅の一角に設けた小さな稽古場に過ぎなかったが、教育者としての情熱と剣道への深い愛情によって、次第に多くの門下生が集うようになった。
道場は技を磨く場であると同時に、人を育てる場でなくてはならない。(竹田誠一郎)
誠一郎は、剣道を単なる競技としてではなく、人間形成の手段として捉えていた。この考え方は、後に道場訓十箇条として明文化されることになる。
その三「受け継がれた教え」
誠一郎の教えは、道場訓十箇条として今も道場の壁に掲げられている。彼が最も大切にしたのは礼節と静粛、そして他流を敬う心であった。
昭和四十二年、誠一郎は当代随一の剣客と謳われた大場文龍先生を師範に招聘する。以後、竹心道場は隆盛をきわめ、多くの優れた剣士を世に送り出すこととなった。
竹田誠一郎 略歴
1912年(明治45年)生まれ ― 1988年(昭和63年)没。剣道七段。呉服商の三男として東京に生まれ、昭和40年、私財を投じて竹心道場を創設。人間教育としての剣道普及に生涯を捧げた。
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道場の理念 ―― 道場訓十箇条・大場文龍先生遺訓